火とぼし山


    火とぼし山

         
第一章  別れ


「次郎さん。みて、白鷺よ」
「白鷺?」
「ほら、あそこ」
きよは、諏訪湖の上空を指さしました。
白鷺が二羽、西山にむかってとんでい
ます。



「ほんとだ。白鷺って、美しい鳥だね」
「私、白鷺が大好き。次郎さんは、白
鷺のように、空を飛べたらいいなって、
思ったことない?」
「ないな」
「私は、あるわ。鳥のように羽があれ
ば、自分が行きたい所へ自由に飛んで
行けるもの」
遠ざかっていく白鷺をみながら、きよ
がいいました。



「きよちゃん・・・おれ・・・」
「次郎さん。どうしたの」
「大事な話がある」
「大事な話って?」
「おれ、引っ越すことになった」
「えっ」
きよは、びっくりして、次のことばが
でませんでした。



「いい仕事がみつかったんだ」
「どんな仕事なの」
「大きな農家で、働くことになった」
「次郎さん。いつ引越しをするの」
「三日後」
「三日後? 急な話ね。なぜもっと早
くいってくれなかったの」



「ごめん・・・。昨夜、決まったんだ」
「どこへ引っ越すの」
諏訪湖の西にある村。今、白鷺が飛ん
でいった方向にある村だよ」
「私、次郎さんと別れるなんて、いや。
ぜったいにいや」
「おらも、きよちゃんと別れるのはつら
い。でも、仕事だからしかたがない」



「次郎さん。引越しをしても、私と会っ
てくれる?」
「もちろん。時々会おうね」
「どうやって会うの」
「おらは、あまり休みがない。だから、
夜しか会えない」



「じゃあ、私が会いに行くわ」
「えっ、きよちゃんが? でも・・・
きよちゃんは、女の子。暗い夜道を、
一人で歩けるの?」
「大丈夫。次郎さん」
きよは、きっぱりいいました。
「大好きな次郎さんのためなら、私ど
んなことでもする」
きよは、心の中でそっとつぶやきまし
た。



「次郎さん。お願いがあるの。私と会
う日には、大きな火をたいてほしいの。
私、その火を目印にして、訪ねていく
から」
「目印に火か・・・。いい考えだね。
でも、遠くから火が見えるかな」



「見えると思うわ。ねぇ、次郎さん。
いつ会うの」
「十日後に、会おう」
「場所がわかるように、大きな火を
たいてね」
「うん、わかった」
きよと次郎は、かたく約束しました。
二人は、おさななじみ。いつしかお互
いに心をひかれるようになっていたの
です。



三日後。
次郎は、西の村へ引っ越していきまし
た。
「次郎さん。約束を忘れないでね。七
日後、次郎さんに会えるのを楽しみに
しているわ」
「おらも、会えるのを楽しみにしてい
るよ」
そういって、次郎はなごりおしそうに
去っていきました。



第二章 再会


七日がすぎました。
今日は、次郎と再会する日。
早めに仕事を終えたきよは、西山に太
陽が沈む頃、次郎が住む西の村にむか
って歩きはじめました。
「今夜は、次郎さんに会える」、そう
思うと、何時間もかかる遠い道のりも、
きよは苦になりませんでした。



しばらく行くと、外はまっくらになり
ました。
きよは、ちょうちんに火をつけ、湖の
ほとりを足早に歩いていきます。
「次郎さん。早く火をたいてね」
そう祈りながら、きよは歩きつづけま
した。



西の山に、ぽっと火がともりました。
小さな火でした。
「あっ、次郎さんだ。火をたいてくれ
たのね。ありがとう。次郎さん。今、
行くからね。待っていてね」
小さな火をめがけて、きよは湖のほと
りを走りました。



「次郎さん。会いたかったわ」
きよは、次郎にかけよりました。
「きよちゃん。ほんとにきてくれたの
だね。ありがとう。おらも、きよちゃ
んに会いたかった」
次郎は、笑顔できよを迎えました。



次郎の顔をみたとたん、きよは疲れが
いっぺんにふきとびました。
「次郎さん。この一週間、とても長か
ったわ。時間が止まっているのではな
いかと思ったくらい」
「おらも・・・」
二人は、別れてからのことを、一晩中
語りあかしました。
楽しいひとときでした。



東の空が、だんだんに明るくなってき
ました。
「きよちゃん。ぼつぼつ帰らないと、
仕事に間に合わないよ」
「そうね。じゃあ、帰るわ。次郎さん。
今度はいつ会えるの」



「十日後、会おう」
「十日後なんて、いや。私、毎晩でも
次郎さんに会いたい」
「じゃあ、五日後会おう。きよちゃん。
会えるのを楽しみにしているよ」
きよは、心ひかれる思いで、家に帰り
ました。
その後。
二人は、月に何度か会いました。



 
北風の吹く寒い季節になりました。
諏訪湖には、氷がはっています。
今日は、次郎と会う日。
「今夜は、湖の氷の上を歩いて行こう。
そうすれば、次郎さんに早く会うこと
ができる」
きよは、湖の氷の上を歩いていくこと
にしました。



でも、湖の氷は、まだ厚くありません。
氷の上にのぼると、「みしっみしっ、
ばりっ」と音がします。
氷が割れ、いつ湖に落ちるかわかりま
せん。
冷たい湖に落ちれば、死んでしまいま
す。きよは、氷の厚そうな所をみつけ、
慎重に歩いていきました。



「おや? 誰か氷の上を歩いてくる。
誰だろう」
明神さまは、あわてて岸にあがりました。
明神さまは、下諏訪に住んでいる奥さ
んの所へ行く途中でした。
「娘か・・・。こんな寒い夜、娘はど
こへ行くのだろう」
娘のことが気になった明神さまは、そ
っと後をつけました。



「みしっ」
「ばりっ」
娘が歩くたびに、氷の割れる音がしま
す。
「あぶない!」
「そっちへいっては、だめ」
明神さまは、はらはらしながら、娘の
後をついていきました。
娘は、岸へあがると、小高い山に向か
って歩き始めました。



「次郎さん。会いたかったわ」
「きよちゃん。今夜はずいぶん早かっ
たね」
「私、湖の氷の上を歩いてきたの」
「えっ、氷の上を?」
「私、一分でも早く、次郎さんに会い
たかったから」
「きよちゃん。湖の氷は、まだ薄い。
氷が割れたら、どうするの。こんな寒
い夜、湖に落ちたら、死んでしまうよ。
たのむから、危険なことはしないでね」
次郎は、きよのことが心配でした。



「次郎さん。はい、お酒」
「お酒?」
「次郎さんに飲んでもらおうと思って、
お酒を持ってきたの。どうぞ」
きよは、小さなとっくりをさしだしま
した。
「うまいっ」
次郎は、おいしそうに酒を飲みました。



「きよちゃん。この酒、温かいよ。どう
したの」
「私、手で温めながら、歩いてきたの」
きよがいいました。
「おらのことを、こんなにも思ってい
てくれる」
次郎は幸せでした。



娘の様子をみとどけ安心した明神さま
は、奥さんの所へいそぎました。
「ただいま。帰ったよ」
「おかえりなさい。遅いから心配して
いたのよ」
奥さんがほっとした顔でいいました。



「ここへくる途中、湖の氷の上で、娘
に会った」
「娘さんに?」
「湖の氷は、まだ薄い。娘が湖に落ち
たら大変だと思って、そっと後をつけ
たのじゃ。娘は、青年と会うために、
山の中へはいっていった。うらやまし
いくらい仲のいいカップルだったよ」
明神さまは、奥さんに娘の様子を話し
ました。



きよと次郎は、いつものように一晩中
語りあかしました。
次の朝。
きよは、さみしそうに家にもどってい
きました。
次郎は、きよのそんな姿をみるたびに、
心が痛みます。
でも、次郎にはどうすることもできま
せんでした。
湖に氷がはっている間、二人は何回も
会いました。四日に一度は、会ってい
たでしょうか。



寒さの厳しい諏訪にも、ようやくあた
たかな春がやってきました。
湖の氷もとけました。
今日は、次郎と会う日。
きよは、湖のまわりを歩いていくこと
にしました。
湖のまわりを歩くと、氷の上を歩く何
倍もの時間がかかります。



きよは、一分でも早く、次郎の元へ行
ける方法はないものかと考えました。
「湖を泳いで行ったらどうだろう」
そう思ったきよは、湖の中に手を入れ
てみました。
湖の水は、手がちぎれてしまいそうに
冷たく、泳いでいくことは無理でした。



きよは、湖のほとりを、足早に歩いて
いきました。
何時間もかけ、やっと次郎の所へたど
り着きました。
「次郎さん。今夜は、湖のまわりを歩
いてきたの。会いたかったわ」
きよは、次郎にかけよりました。



    つづく