短歌

母の短歌109

この朝の開店セールの店内に 「ベルリンの壁」入荷の放送が響く 六時間車に揺られ共に来し 文鳥を少女は優しく労わる 小林夫妻歌碑のみ歌に在りし日の 労り合へる面影浮かぶ アスパラの藪を渡れる風いでて 輝きをりし露も消えたり

母の短歌108

舗装路の僅かの土に根を張りて マーガレットの花丈低く咲く 塩の道博物館に昔ながらの 塩舐むれば味まろやかなり 忽ちに掘り起こされし桑株を クレーン車の手が大きく掴む コップの中に優しき音たて溶けゆく 一万年前といふ南極の氷

母の短歌107

梅雨明けの窓開け放ちしこの夕べ 素足に畳の感触清し 顔も見ず逝きたる夫の墓前に 帰国せし孫娘ふかぶかとぬかづく かへるなき過去を漸く諦めの つけば下り来て庭に水まく 夫逝きし日のごと残暑厳しくて 韮の白花夕日に匂ふ

母の短歌106

世に在れば共に喜ばむ汝の帰国 マーガレットの花供へ告ぐ 水引きし田の面に映る夕つ日の きらめき薄れやがて消ゑゆく かしましき蛙の声にも耳慣れて 眠りをさそふ声となりきぬ 幾度も監視に行きしギフ蝶の 卵盗られしと聞きてさびしき

母の短歌

母の短歌104 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090224#p4 母の短歌105 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090225#p3

母の短歌105

山野草好みし娘の植ゑゆきし ホトトギス萌えイカリ草萌ゆ 亡き夫との思ひ出残る庭木々の 芽吹き愛しみしばし侘む 臼井川の流れにそひて登り行く 落葉踏む音峡間に響く 春となりし喜びの一つゼラニューム インパチェンスの花苗植ゑる

母の短歌104

み庭より惜しげもなく掘りくれし 貝母並み立ち萌え始めてきぬ 玄関に夕早くわが鍵かくる 慣しつきぬ夫逝きてより ギフ蝶の住める環境整へむと 蒔きしドンクリの淡き緑萌ゆ ギフ蝶のヒメカンアオイの葉の裏に 産卵するをじっと見守る

母の短歌103

婦人会の新年会にも湾岸戦争の 話題にぎはひ会は長びく 朝々に廊下に吊す玉すだれ 花芽つきしが障子に映える あきらめの心を持てば安らぎて 夕べの庭に松葉掃き寄す 活けをきし赤芽柳の苔の落つる かそけき音を一人聞きをり

母の短歌

母の短歌101 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090221#p5 母の短歌102 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090222#p3

母の短歌102

来春は帰国できると汝一家の クリスマスカードの寄せ書き届く しあはせを人の物差しで計るなと 夫亡き吾に兄は言ひたり 蝉がらのつきしままなるブライタルベール 冬越しさせむと部屋にとりこむ 霜柱崩るる音に耳澄まし 真昼の畑にほうれん草を摘む

母の短歌101

在りし日に夫の植ゑたる八つ手の広葉 染めて金木犀散り終りたり 十一月尽季節外れの台風に 散り残る満天皇も裸木となる 土竜おどしの音立て響く畑隅に 酒に醸さむよもぎ摘みをり 中空に七分に欠けし月触は 汝住む国からは如何に見ゆるらむ

母の短歌

母の短歌99 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090219#p3 母の短歌100 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090220#p3

母の短歌100

落ち柿のすゆる匂ひもしたしくて よけつつ木下を駅へ急ぎぬ 朝夕に水かけ育てし春菊を 間引く背中に残暑きびしも わが庭より移しハナノキ紅葉する 傍に朝々孫のむつき干す みどりごにはめられをりし足の輪と 今日とれし臍の緒を日陰干しす

母の短歌99

木漏れ日に浮きたちて見ゆ岩煙草 紫の花亡き夫偲びぬ 母に似し姉と語れば遠き日の 母の仕草の蘇りくる 子等の幸は親の仕合はせと言ひし母の 心を年経てわれも知りたり 筆まめなりし夫の命日に娘夫婦 便箋とペンを供へて行きぬ

母の短歌

母の短歌97 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090217#p4 母の短歌98 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090218#p3

母の短歌98

歌などは教へらるべきものにあらじと 詠まれし先生のみ歌心に沁みぬ 使ふこと少なくなりきて在りし日に 母剥きくれし真綿残れり 去り難く娘と立つ墓辺に在りし日に 夫の植ゑたるハナノキの花 梅雨明けて夏の日光の漲る庭 蝉のぬけ穴日毎に増しきぬ

母の短歌97

病み後のろれつの悪しきを嘆きつつも 従兄弟は歌会でひたすらなりき 在りし日に夫の作りし玉しのぶ 赤き芽吹きの日に透きて見ゆ 春風過ぎし朝の裏庭に 散りばふ柿の若葉掃き寄す 花見むと来しユリの木の枯れがれて 根元に一枝伸び立つ緑

母の短歌

母の短歌95 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090215#p5 母の短歌96 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090216#p3

母の短歌96

欠詠をするなの先生のお諭しを 胸に九年励みきたりぬ わが庭の紫蘭の花も一つ葉も 先生を偲ぶよすがとなりぬ アストロメリアを買ひ来し今宵はこの花の 原産国に住む汝を思ひぬ 一面のなづなの花を鋤き込みて 忽ち田の面の色変はりたり

母の短歌95

間をおきて屋根より雪のなだれ落つる 音のひねもす庭に響きぬ 六時八分で止まりしままの腕時計 亡き夫偲び錆びしを磨く 二十年後の老に備ふると言ふ子等に 我にはかかる余裕なかりき 母のごと慈しみくれし君が形見 ヒマラヤスミレ今年も咲きぬ

母の短歌

母の短歌91 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090211#p3 母の短歌92 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090212#p3 母の短歌93 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090213#p3

母の短歌94

セーターの仕上げを急ぐわが手許 今宵洗ひしセロリにほふ 鏡台も手鏡も磨きこの年の 暮れの大掃除漸く終る 立春を迎へし朝有線より流れる 「早春賦」ききて目覚めぬ 照り反す光眩しくシャーベット状の 雪かき分けてからし菜を摘む

母の短歌93

トンネルを抜けしまなかひに遠山郷の 盛る紅葉の山並の見ゆ 静まれる平岡ダムに影落し 飛行機雲の西に伸び行く 満天皇の落葉がくれに瑞々し 藪柑子の朱実色冴えて見ゆ 白糸のレースのごとき蜘蛛の巣の 日にきらめきて霜のとけゆく

母の短歌92

里芋の揺るる広葉に影落し 番のトンボ群れて飛び交ふ こほろぎ一つ走る厨に幾度も 水替へて煮る栗の渋皮煮 夏疲れの特効薬と亡き母が 作りくれにし大根葉の胡麻和へ 防火用水を音立てて飲む野良猫の 痩せし背に秋の日のさす

母の短歌91

逝きし兄に代れるものなら代りたしと 嘆きいし母の今日十四回忌 医者の身で五十で逝きし兄の訃を 受けし日のごと郭公の鳴く 生漆の強く臭ふ工房に のみのさばきを息つめて見る 新しきケースに移すコケシの顔 旅にまつはる思ひわきくる

母の短歌90

フロンガスに代る新製品の開発を願ひつつ 今朝もヘヤースプレーをする 幼な子の風邪の熱さましと石垣に 植ゑしドクダミの花白々と咲く 水ひきし田の面に反す夕光に 眩しく背を向け草をとりはげむ 吾が膝にたまりし水と医者が示す 注射器の中の黄なる液体

母の短歌89

蝋梅の香り漂よふ裏庭に 没らん日の光寂しみて立つ ギフチョウをひと目この目で見たきものと 監視役に山に入り来ぬ 氷河時代の生き残りときくギフチョウの 監視にきて見得し今日の喜び 行動範囲五十メートルときくギフチョウは 雑木林をゆるやかに舞ふ

母の短歌88

温かき日を背に受けて前畑に 今年作らむ花思ひをり 電気店のテレビに映る吾が姿 老いさび見ゆれば背筋を伸ばす 急に逝きし友の作りしほうれん草 株張りし緑に冬の雨降る 強まり来し夕べの風に土竜おどしの 赤白の風車音高く鳴る

母の短歌87

わが生きし齢と同じ昭和の世 遂に終るか三時間の後 元旦の雨に濡れて艶めけり 亡き夫植ゑし万年青のつぶら実 株植のハナダイコンの葉をぬらし いつしか雪の雨に変れり 黄梅を寂しき花と詠みたまひし 先生を偲び花に向ひぬ

母の短歌

母の短歌84 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090204#p4 母の短歌85 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090205#p4 母の短歌86 http://d.hatena.ne.jp/dowakan/20090206#p4